60's 西田佐知子 (\290 シングル) /「アカシアの雨がやむとき  原田信夫/夜霧のテレビ塔 
Polydor-DJ-1062 
1960年リリース

レコードの盤面の盤質は、コスレが、あり、チリプチが、入ります。
歌詞、楽譜が、付いています。

ジャケット、ライナーに コスレとヨゴレ、折れめが、あります。

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アカシアの雨がやむとき」(アカシアのあめがやむとき)は、1960年4月西田佐知子の歌唱により発表された楽曲名
A面とB面に異なる歌手の歌唱楽曲が収録されたシングルレコードの片面として、1960年4月に発売された。もう片面は、原田信夫が歌う「夜霧のテレビ塔」である。
その「アカシアの雨がやむとき/夜霧のテレビ塔」は、ポリドール・レコードから発売された西田佐知子の4枚目のシングル盤である。それ以前に発売された3枚も、異なる歌い手とカップリングされたシングルレコードであった。発売時のレコード・ジャケットは名前表記が当時の本名[1]とされる「西田佐智子」になっており、原田信夫の顔写真も掲載されていた[2]。しかし本楽曲が浸透した結果、レコード・ジャケットが西田佐知子のみの写真にレイアウト変更され、名前も現芸名の「西田佐知子」に修正されたリニューアル盤が制作され流通していった[3]
「アカシアの雨がやむとき」が支持された背景として、「日米安保闘争」と関連付けて語られることが多くある[1]。その話りの中身とは、1960年1月の「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」調印を発端とした安保闘争後、反対運動の成果ゼロという結果に疲れた若者たちが西田佐知子の乾いたボーカルと廃頽的な詞に共鳴し、歌われたことで広まっていった、というものである[6]。そのため、テレビ番組では当時の世相を反映する楽曲として、安保闘争(とりわけ樺美智子死亡による抗議デモ)の映像のバックで流れることがある。
西田佐知子がこの「アカシアの雨がやむとき」をレコーディングする際、なかなか上手く歌えず苦労していた時に、この曲の作詞者である水木かおるから『この曲は、芹沢光治良の『巴里に死す』という小説モチーフにして書いたものなの』と言われ、パリの風景をイメージして歌うようにしたことを語っている[7]
  • Side A アカシアの雨がやむとき(3:32)
歌:西田佐知子作詞: 水木かおる 作曲・編曲: 藤原秀行
  • Side B 夜霧のテレビ塔
歌:原田信夫作詞・作曲: 萩敏郎、編曲: 大倉一太

Sachiko Nishida - アカシアの雨がやむとき / 夜霧のテレビ塔 album cover

西田佐知子* / 原田信夫  アカシアの雨がやむとき / 夜霧のテレビ塔

レーベル:Polydor  DJ-1062
フォーマット:
レコード, 7", 2nd pressing
国:Japan
リリース済み:1960年4月
ジャンル:Pop
スタイル:Ballad


A西田佐知子*アカシアの雨がやむとき
Lyrics By  水木かおる
Music By, Arranged By  藤原秀行
Lyrics By  水木かおる
Music By, Arranged By  藤原秀行
B原田信夫*夜霧のテレビ塔
Arranged By  大倉一太
Lyrics By, Music By  萩敏郎
Arranged By  大倉一太
Lyrics By, Music By  萩敏郎