全長サイズ 25.7㎝
作品説明 【初代田辺竹雲斎 (1877-1937)
明治-昭和時代前期の竹工芸家。名は常雄。
初代和田和一斎に竹編みの技法を学ぶ。唐物風の制作を得意とす。
24歳の時、和一斎のもう一つの号であった竹雲斎を譲られ独立する。
初代竹雲斎は竹工だけでなく、華道や煎茶道にも励んだ。
明治36年 (1903) 第五回内国勧業博覧会に出品。
その後、数々の博覧会等で受賞を重ねる。
明治末期、初代竹雲斎は柳里恭(りゅうりきょう)の画と出会った事により、
文人籠本来の自由な創意と精神を彼に与えた。
華道も深く理解した彼の感覚が、柳里恭の花籠図に引き寄せられたと思われる。
このことにより柳里恭式という独創的な花籠が生まれた 。
大正3年 (1914) 大正天皇の大阪府行幸の際、
竹雲斎の「柳里恭式釣り花籠」と「丸型柳里恭式釣り花籠」が展覧を賜り献納された。
大正14年(1925)パリ装飾美術博覧会にて「柳里恭花籃」が銅賞を受賞。
作家として地位を確立し、竹工芸家として初めて個展を開催した。】

共箱、在銘、真物保証。
状態説明 良い状態です。




 全長サイズ 25.7㎝
作品説明 【初代田辺竹雲斎 (1877-1937)
明治-昭和時代前期の竹工芸家。名は常雄。
初代和田和一斎に竹編みの技法を学ぶ。唐物風の制作を得意とす。
24歳の時、和一斎のもう一つの号であった竹雲斎を譲られ独立する。
初代竹雲斎は竹工だけでなく、華道や煎茶道にも励んだ。
明治36年 (1903) 第五回内国勧業博覧会に出品。
その後、数々の博覧会等で受賞を重ねる。
明治末期、初代竹雲斎は柳里恭(りゅうりきょう)の画と出会った事により、
文人籠本来の自由な創意と精神を彼に与えた。
華道も深く理解した彼の感覚が、柳里恭の花籠図に引き寄せられたと思われる。
このことにより柳里恭式という独創的な花籠が生まれた 。
大正3年 (1914) 大正天皇の大阪府行幸の際、
竹雲斎の「柳里恭式釣り花籠」と「丸型柳里恭式釣り花籠」が展覧を賜り献納された。
大正14年(1925)パリ装飾美術博覧会にて「柳里恭花籃」が銅賞を受賞。
作家として地位を確立し、竹工芸家として初めて個展を開催した。】

共箱、在銘、真物保証。
状態説明 良い状態です。








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