参考イメージ 付属しません参考イメージ 付属しません参考イメージ参考イメージ参考イメージ参考イメージ参考イメージ参考イメージ
Buying proxy service (Goods from Japanese online shops and auctions). Buy from Japan with Zenmarket.Jp!Zenmarket.Jp (ゼンマーケット)・購入代行サービス、海外発送、日本の通販サイトZenMarket - achats au Japon & Service Proxy - La meilleure faon d'acheter au Japon !Zenmarket.jp - 日本代服El mejor intermediario de compras a Japn online!
Zenmarket.jp - buying service from Japanese online stores recommended by seller


商品説明

なんと廃盤か?SACD向けのリマスタだと思われますが、それはハイブリッドだったと思いますし、CDのほうが優位な部分が多くしかも、反射層の問題からは明らかに優位。そして、日本のリクエストによるものだと思いますが録音のデータ等完備した永遠の決定版が、こんなにすぐ入手難とは・・

ジャンル:【中古】クラシックカタログNo:BC0301632レーベル:Berlin Classics *cl*発売国:Germanyフォーマット:CDその他

【中古】クラシック
カタログNo

BC0302054
レーベル

Berlin Classics *cl*
発売国

Germany
フォーマット

CD
その他
:
輸入盤

 Berlin Classics所蔵 オリジナル・アナログ・マスターテープ使用



 マスタリングについて~クリストフ・シュティッケル(マスタリング・エンジニア)

ETERNAテープをリマスタリングする際の前提は、オリジナル・サウンドを変えることなく可能な限り最高の状態でオリジナル・サウンドを再現することでした。
 全ての作業はオリジナルのアナログ・マスターテープに基づき、マスタリングはそれぞれのテープに対して細心の注意を払って行われました。
 アナログ領域のみでサウンド処理されたアナログ信号を96kHz / 24bitの高品位デジタル化後に44.1kHz / 16bit化されました。
 また、デジタル領域においてもノイズの除去や、オリジナル・サウンドに影響を与えるその他の修復は行わず、必要最小限のテープ・エラーとテクニカル・クリックのみの修復が行われました。



Disc 1
交響曲第1番ハ短調 op.3『ズロニツェの鐘』
録音時期:1979年8月27~30日

Disc 2
交響曲第2番変ロ長調 op.4
録音時期:1979年10月23~25日

交響曲第3番変ホ長調 op.10
録音時期:1978年7月5~9日

Disc 3
交響曲第4番ニ短調 op.13
録音時期:1980年12月15~19日

交響曲第5番ヘ長調 op.76
録音時期:1977年11月25~28日

Disc 4
交響曲第6番ニ長調 op.60
録音時期:1979年7月2日、1980年2月18~19日

交響曲第7番ニ短調 op.70
録音時期:1981年2月22~26日

Disc 5
交響曲第8番ト長調 op.88
録音時期:1977年7月11~15日

交響曲第9番ホ短調 op.95『新世界より』
録音時期:1978年3月29~31日、4月1日

シュターツカペレ・ベルリン
オトマール・スイトナー(指揮)

録音場所:ベルリン、キリスト教会
録音方式:ステレオ(セッション)
スイトナー/ドヴォルザーク交響曲全集(5CD)

オトマール・スイトナーの遺した録音資産の中でも特に人気の高いドヴォルザーク交響曲全集が新たなマスタリングで登場。
 スイトナーは、ドヴォルザークの交響曲は番号をさかのぼるほど演奏が難しくなると語っており、全集録音に際しては、ヴァーツラフ・ターリヒの弟子でスメタナ劇場(現プラハ国立歌劇場)の指揮者ルドルフ・ヴァシャタ[19111982]から、ターリヒの楽譜をもとにしたフレージングのアドヴァイスを受けてもいました。
 速めのテンポで一貫しながらも、劇場的なイディオムともいうべき多彩な表情が随所に浮かび上がるのは、そうしたスイトナーの入念な準備が反映されていたからかもしれません。
 これら5曲はすべてブラームスの交響曲第1番が完成する前に作曲されたもので、ワーグナーからの直接的な影響が認められる曲も多いのが特徴でもあります。
 そして30代後半から40代の終わりにかけては第6番、第7番、第8番を作曲、そして50代で第9番を書いています。
 9曲に共通するのは、はっきりした性格の旋律と克明なリズムの存在です。オペラをたくさん書いた作曲家でもあったドヴォルザークらしく、いくつもの旋律を投入したうえで、素材をドラマティックに展開、絡めあうさまは劇場的でもあり、通常のソナタ形式的なアプローチよりも、オペラ経験の多い指揮者の方が面白くなる可能性があると思います。
 スイトナーはその点で適任と言えますし、オーケストラも、膨大な数のオペラ経験を持つシュターツカペレ・ベルリンということで、まず前提条件として申しぶんないのがこの全集です。
 ドヴォルザークの旋律創造能力は図抜けたものがあったといいますが、それがわかりやすいのが緩徐楽章でもあり、交響曲第4番第2楽章など、ここではオペラの一場面のようにも聴こえます。妙に整理したりせず、それぞれの素材を十分な重みをもって響かせるスイトナーの手法は、もしかしたら劇場的観点からドヴォルザークの諸相に迫るものなのかもしれません。
 戦後、ゲヴァントハウス管弦楽団の新たな首席指揮者となったのはヘルベルト・アルベルト。2年間の任期のうちに、第1・5・7・8・9番を指揮。任期中のブルックナー関連客演指揮者は、パウル・シュミッツ(2番)、フリッツ・レーマン(6番)、レオポルト・ルートヴィヒ(8番)、そしてギュンター・ラミン(合唱曲)というもので、レーグナーはこの時期に、ラミンと親しく交流してもいました。
 1949年、東ドイツ成立の年には、フランツ・コンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に任命。ライプツィヒ市立歌劇場が爆破されオペラ上演が減少していたこともあって、着任間もなくオーケストラと長期の海外ツアーに出かけたところ大成功。以後、数多くの長期ツアーを実施することになります。そのため、オペラ上演と聖トーマス教会でのコンサートに支障が出ないよう楽員数も大幅に増強し、オーケストラ・コンサートが最優先という取り決めも実現。コンヴィチュニーは1935年、33歳のときに国際ブルックナー協会ブルックナー・フェストで、第4・5・7・9番と800名の合唱によるテ・デウムを指揮した実績の持ち主(そのフェストでの第1・8番がアーベントロート、第2・6番がカール・レオンハルト、第3番がハンス・ロスバウト)。この東ドイツでの人事でも、ベルリン国立歌劇場音楽総監督との兼務という過酷な条件ながら、得意のブルックナーには楽員数も含めて十分に配慮、数々の本番演奏に加え、第5・7・9番をセッション録音してもいます。1962年、ツアー中に突然死するまでの13年間の任期中には、パウル・シュミッツ(0番)、クルト・マズア(1番)、ゲルハルト・プフリューガー(00番)などがブルックナー作品で客演。
 同じく1949年には、ヘルマン・アーベントロートがライプツィヒに戻り、ライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者に就任。亡くなる1956年までの7年間、ブルックナーの放送録音など実施。アーベントロートは、1900年代なかばからリューベック、1910年代の終わりからケルンでブルックナーに取り組み、1934年から1945年にはゲヴァントハウス管弦楽団で大規模かつ集中的にブルックナーを演奏。そして戦後はライプツィヒ放送交響楽団で再びブルックナーに見事な演奏を聴かせています。
 アーベントロートの後任として、1958年からヘルベルト・ケーゲルが着任。ブルックナーについては早くからとりあげ、第3・4・5・6・7・8・9番、及びテ・デウムを指揮。客演でコンヴィチュニーがブルックナー作品を指揮したりもしていました。